読了本ストッカー:当然の五つ星……『祈りの海』

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)
著者:グレッグ イーガン
販売元:早川書房
発売日:2000-12


 


 


2009/4/6読了。


『火星人先史』の方を先にアップしてしまいましたが、本来はこちらが先に読了。イーガンの短篇集です。本の山の中からようやく発掘。



◆「貸金庫」



……生まれてから39年、毎朝起きる度に別の人間の中に宿る男の話。さすがイーガン、設定が細かいです。なぜか宿主は必ず1951年11月か12月生まれ、そしてある街に住んでいる男に限られています。その街に住んでいるその年齢で月の人間は約1000人。なので新しい宿主に当たる確率は39年過ごした今では低く、何度も同じ宿主に当たる日々。



  わたしがなにかを学ぶことができたのは、奇跡である。いまでさえ、読書能力のうちどれだけが自分のもので、どれだけが宿主に由来するのか、わかっていない。ボキャブラリーもいっしょに移動しているのはたしかだが、ページに目を走らせたり、じっさいに文字や単語を認識するといった低レベルの作業からは、その日によってまったく違った感じをうける。


細かい!普通の人格転移もの(そんなジャンルがあるのか知らないけれど)はAとBの人格が入れ替わるというものが多いと思いますが、本篇の<わたし>には本体がないのでとても違和感。いや全体の構造も見事だし……素晴らしい短編でした。


◆「キューティ」



……主人公<ぼく>は子どもが欲しくてたまらない34歳男性。彼は<キューティ>というものを購入することにします。<キューティ>とは人間の生殖細胞から作り出される亜人間。脳の発達を司る遺伝子が欠損させられていて、知能は人間のレベルに達することなく、4歳の誕生日を迎えると死ぬように設定されています(ひどい……。)。



  要するに、キューティというのは、心をとろけさせるようなかわいらしい赤んぼうはほしいけれど、その先の、ひねくれた六歳児や、反抗的なティーンエイジャーや、両親の死を看とりながら、遺言状が開封されるときのことで頭がいっぱいの中年のハゲタカは絶対にごめんだ、という人々の理想を実現したものといえる。


マニュアルどおり、<ぼく>には女の子が生まれますが……。後味悪!


◆「ぼくになることを」



……アイデンティティを真っ正面から取り上げた短篇。その時代、人類は幼年期に<宝石>と呼ばれるユニットを頭に埋め込みます。<宝石>は本来の脳と同期し、まったく同じ思考をするように学習。脳が衰退を始める30代近辺に<スイッチ>、つまり脳を除去し、<宝石>が自分となるわけです。『銃夢』に出てくるザレム人のチップ脳みたいなものですな。まったく同じように考え行動する脳と<宝石>。果たして本当の<自分>はどちらなのか?


◆「繭」



……シドニー郊外のレーンコーヴにある<生命向上インターナショナル社>の研究施設が爆破され、ネクサス捜査社からジェイムズ・グラスが派遣されます。<生命向上インターナショナル社>がその施設で研究していたのは、母体の腎臓に高機能フィルターを作ってエイズやドラッグの母子感染を防ぐというもの。特に開発を妨害するような組織も見当たらない。一体なんのための爆破なのか?腎臓のフィルターもすごいけど結末もすごい……。


◆「百光年ダイアリー」



……う~んと、難解すぎるんですけど……まず宇宙のある一点の銀河を観察するとします。その銀河の発する光を受光器で感光させるわけですが、その間にフィルターを置いて銀河を隠してみると、隠してから少し遅れて光が途絶える(ギリギリでフィルターに隠されなかった光が届くまでのタイムラグ)。因果関係を逆転して考えると、光が……ややこしい!よくわからん!とにかく未来から日記が届くので未来予知が可能なわけですな。その未来を変えることもできないと。そんな世界で<自主性>なんて存在するのか、という短篇です。


◆「誘拐」



……『ディアスポラ』の前日譚です、たぶん。『ディアスポラ』世界を支える技術が開発されたばかりの世界みたいなので、前日というより超前日譚ですけど。ネタバレになりそうなので、このへんで。


◆「放浪者の軌道」



……えっと、よくこんな事思いつくな、イーガン!
   2018年1月12日、人類は何らかの閾値を突破。価値観がメルトダウンを起こし、宗教的な信念や文化が、脳を透過、つまり他の人々に影響を及ぼすようになってしまいます。同じ価値観をもっていた人たちが集まり(吸収され)、それぞれアトラクタと呼ばれる地域を作り、棲み始めます。
   主人公は、アトラクタの隙間を放浪する、どの信念にも属さず、かつ様々な信念に影響される人びとのひとり。一箇所に留まり続けると、その近くのアトラクタの信念に捉えられるため、彼らは常に移動し続けなければならない宿命。歩きながら、カトリックに影響されたり、実存主義に考えを変えたり、はたまた宇宙的バロック主義にとらわれたりする様子が、見事。ほんとよう思いつくわ、こんなこと。


 ◆「ミトコンドリア・イヴ」



……人類の歴史をひとりの女性へと収斂させるミトコンドリア・イヴ仮説。でも、人類が考える事はいつも同じ。結局新たなる紛争(しかもアダム)の火種となるのでした。


 ◆「無限の暗殺者」



……平行世界をシャッフルする力を得てしまう(こともある)ドラッグ<S>。平行世界の自分と入れ替わる事を夢見るあまり、本当に物理的転移を開始してしまうこともあるわけです。そんなとき、その平行世界がシャッフルされている渦中へ飛び込んでいき、原因となっているジャンキーを排除、そして帰還する(帰還後も平行世界の影響を受けず、同一人物として帰還できる能力をもっているらしい)暗殺者が主人公。ほんと、細かいところまで設定されていて、脱帽です。
    これもアイデンティティに深く関わる短編です。ネタバレになりますが、ラストの一文があまりにもかっこいいので、引用します。



   世界の無限の集合のどれだけで、わたしは次の一歩を踏みだすのだろう?  あるいは、どれだけの無数のバージョンのわたしが、そうするかわりにうしろをむいて、この部屋を出ていくのだろう?  そしてわたしは気づいた。ありとあらゆるかたちでわたしが生き、そして死ぬだろうというときに、わたしが引きかえさないことで、恥辱にまみれずにすむ者、それこそが――
    わたしというものなのだ、と。


 ◆「イェユーカ」



……ヘルスガード社の指輪型個人用医療機器のおかげで、ほとんどの病気(癌までも)が根絶された世界。そこでは医者が仕事を失おうとしています。そんな中、外科医のマーティンは執刀の機会を求めて、貧富の差が激しく、ヘルスガード社の機械が買えず、新種の癌<イェユーカ>が横行するウガンダに向かいます。


 ◆「祈りの海」



……表題作。本編はあの<ディアスポラ>後の世界を書いてるわけかなあ。


ちなみに、本書の解説は偶然にも瀬名秀明氏。今年はSFを読めというお告げか?