読了本ストッカー:「努力し、探索し、発見し、しかして屈するところなく」……『世界最悪の旅』

世界最悪の旅―スコット南極探検隊 (中公文庫BIBLIO)


チェリー・ガラード


中公文庫BIBLIO


2008/4/23読了。


 


本書を知ったのは『200X年文学の旅』で。T・R・ピアソンの未邦訳作品『極地』の紹介文章でした。その後大阪への出張中に、ホテルへの帰り道にあった、小さな古本屋の100円棚で見つけました。ちなみに角田喜久夫の『妖棋伝』と『風雲将棋谷』もゲット(古)。


スコット南極探検隊といえば何やら伝奇的な逸話がちらほら。 1910年からスコットを隊長として行われたイギリスの南極探検隊の行程を、生き残りのひとり、チェリー・ガラードが書き記したものです。新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』を思い起こさせますが、こちらは準備に準備を重ねた探検。ガラードによれば・・・



(スコット隊の)今度の探検は地理上と科学上の二つの目的をもって行われたことを考えに入れれば、これまでのうちではもっともよく装備された探検隊であったと思う。すべてをあげて一事に傾倒することは割合にやさしいことである。ただ一つの目的、極地に到達するということ、あるいは完全な一つづきの科学的観測を行うということのために資材を用意し装備し隊員を選ぶのはやさしい。しかしこの場合のように一つと他のこととを直接に結びつけると、その困難性は数倍も増すものである。


それでもこれだけの悲劇が起きたのですから、極地ってのは怖いとこです。夢枕獏氏の傑作山岳小説『神々の山嶺〈上〉 (集英社文庫)』や、新田次郎氏の『孤高の人』の山も怖いなぁと思ったのですが。
エバンス岬からクロジール岬までの124キロでは・・・



ある日、すっかり用意をととのえてからソリの荷造りをしようとテントのそとへ出たのであるが、(中略)そとへ出たとたんに、わたしは見まわすために頭をあげたところが、もうそれきりで元の姿勢になおらなくなってしまった。立っているうちに――おそらく十五秒ほどのうちにわたしの着物は固く凍ってしまったのである。四時間ほどの間、わたしは頭をまっすぐにしたままでソリをひかなければならなかった。それでそれ以後はわれわれは衣服がみな凍るまでは、いつもソリひきの姿勢を取っているように心がけた。


・・・微妙に笑い話ですが。いや笑えないな~。


また極点到着後の帰路の行程は、スコットの筆致が凄みを増します。淡々とした筆致ながらすごい迫力です。特に「帰還行程」の章で、スコットが隊員たちの家族に宛てて書いた手紙は、涙がでます。


ここまでは不謹慎な言い方を許してもらえればウェルメイド。しかしここから、つまり最後の「遭難の批判」の章が本書の本領、圧巻の内容です。


最初この本を読み始めたときは、人災なのか天災なのか、探検隊の不備をあら探しするような気持ちでした。
しかしガラードは、あくまでも冷静に物事を綴ります。北極探検と見せかけて南極に転進したアムンセンに対する不快感も隠そうとはしないし、その上でアムンセンの業績を高く評価します。
さらに極点踏破を唯一の目的としたアムンセン隊に対し、極点踏破はあくまでもスポンサーに対するエサとして、多様な科学調査を主目的としていたスコット隊との性格の違いを強調し、その上で調査隊が調査のみに専念できるように、資金と装備の整備を訴えます。またその体制の国レベルの整備、国際レベルでの整備にまで言及。さらには、「油の問題」「食糧の検討」など細部に渡って反省材料を提供、検討を重ねます。


巻末解説で石川直樹氏が述べているように・・・



この本は南極点到達競争に負け、失意のまま倒れた冒険者を憐れむために編まれたのではない「本当に大切なのは経験によって得たものを一つとして失ってはならないことである」と著者であるチェリー・ガラードが言うように、彼らの経験を多くの人がシェアするためにこの本は存在している。


これが本書の存在理由。ガラードの「探検とは知的情熱の肉体的表現である」は至言です。


五つ星です。


災害つながり(?)で、よく見かける(本当に良く見かける)『タイタニックの最期』でも読もうかな?