円位上人、西行法師の弟子であった藤原秋実を語り手に、西行の一生を経巡る一冊です。
といっても秋実はインタビュアーであり、西行の弟子でありながら、生前は西行の考えや感じていることに思いを巡らせることはできていませんでした。
秋実はその師の死後、さまざまな人びとに西行についての話を聞くことで、西行を再現しようとするのです。
「一の帖」では、西行の幼少期に乳母を務めたのちの蓮照尼こと葛の葉が語り手です。
といっても秋実はインタビュアーであり、西行の弟子でありながら、生前は西行の考えや感じていることに思いを巡らせることはできていませんでした。
秋実はその師の死後、さまざまな人びとに西行についての話を聞くことで、西行を再現しようとするのです。
「一の帖」では、西行の幼少期に乳母を務めたのちの蓮照尼こと葛の葉が語り手です。
「三の帖」では、秋実が憲康と義清の親友である鎌倉二郎季正(出家して西住上人)の庵を訪ね、若き日の西行について話を聞いたことを思い出します。
このように「二十一の帖」まで合計22の章がありますが、後半になると西行自身が秋実に語り聞かせる章もでてくるようになります。
私の中の西行のイメージといえば、待賢門院との恋に破れ、出家した藤木直人(笑)というものでしたが、本書の西行は違います。
それも確かに西行の一部ではありますが、秋実が何度も何度も書くように、世を儚み、現実を捨てて出家したわけではなく、「虚空の土台を歌でしっかりと作るため」出家し、歌人となります。
「ちょうど堂塔を建てるとき、ますがっしりとした土台を築きますが、私が歌を詠むのは、滅びることのない意味をこの世に与え、この世を滅びから救うことではないか、と思えたのでございます」
西行は世の中の力を「見える力」と「見えない力」、「武力」と「権能」でできていると考えます。どちらも必要。