読了本ストッカー:詩の翻訳は可能か?……『それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義#03』沼野充義/光文社


2015/10/28読了。

#01いま、あらためて考える「文学」とは何なのか 加賀乙彦×沼野充義

#02詩の翻訳は可能か 谷川俊太郎×田原×沼野充義

刺激的だったのは、「詩が普遍的になることにどんな意味があるのか」という問いでしょうか。
このシリーズは基本的に「翻訳=善」という立ち位置です。それはどの翻訳に関する本でも同じことで、いろいろ意見はあるにせよ、実際に翻訳をしている人たちの結論としては順当なとこでしょう。
翻訳することで原語の大事な部分が欠け落ちてしまうかもしれないという恐怖を感じつつも、努力して翻訳し、たくさんの人に読んでもらうことが大事だし、それを良しとする。私もこの意見に賛成です。

この章では谷川俊太郎氏がそこに疑義を呈します。田原氏が

「翻訳は確かに難しいけど、いい現代詩であればどの原語にも翻訳できると思いますね。翻訳されても大きな落差は出ないんじゃないかな。それは多分普遍性があるからです。中途半端な作品では無理でしょう。外国語に受け入れられにくいと思います」

と言うのに対し、谷川氏は

「田原さんの、詩がグローバルで普遍的でなければならないという観念はどこから来ているわけ」


と言います。

「ある特別な文化圏で成り立っていればいいんじゃない。違う考え方をもっている中国で普遍性がないから、ダメだとは言えないんじゃないなということです。日本人が感じとれればそれでいいんじゃない」


これは中原中也を中国語に訳した場合、「彼のポエムの質感がぐっと落ちる」ので普遍性がない、「日本語で読めば、中也はそこそこの詩人だと思いますけど」と不用意に言っちまった田原氏に、谷川氏がカチンときたわけですけど。

時間の都合でこの議論は打ち切られちゃってるので、続きが聞きたいなあ~。

#03私を「世界文学」に連れてって 辻原登×沼野充義

#04驚くべき日本語、素晴らしきロシア語 視線は地平をこえて ロジャー・パルバース×沼野充義

#05「言葉を疑う、言葉でたたかう」アーサー・ビナード×沼野充義