読了本ストッカー『フーコーの振り子㊤』



2011/6/14読了。
物語は語り手の<私>=カゾボンがサン・マルタン・デ・シャン修道院に忍び込もうとするところから始まります。『クローディアの秘密』ばりに。
あの日から私は疑い深い人間になった。
自分が何でもすぐに信じてしまっていたことを悔やんだのである。それまでの私は頭で冷静に判断していたのではなく、感情に動かされていたのだ。
懐疑的であるというのは、何も信じないということではない。何もかもを信じてはいけないということで、まず一つのことを信じても、そのつぎのことは最初にしんじたことに何らかの関連性がある場合にだけ信じ、近視眼的に順序だてて慎重に検討を加えながら決して一足飛びに結論に挑まないことである。ところが両者相容れないような場合に、その二つを結びつける第三のものがどこかに隠されているはずだと考えて両方とも信じてしまう。それが信じやすいということなのである。
懐疑的というのは好奇心を排除するものではなく、むしろそれを力づけてくれる。

オカルトを信じてしまう心の動きを、見事に表現しているかと。

私はその時点まで、ディオタッレーヴィが算術に関する宗教を作っていたのか、逆に宗教に関する算術を作り出していたのかわからなかった。おそらくそのどちらも正しかったのだろうが、(中略)彼はルーレットに身を捧げることもできただろう(むしろそのほうが良かったかもしれない)。なのに彼は異端のラビになりたがっていたのだ。