読了本ストッカー:実は愛と信仰の物語……『エクソシスト』

エクソシスト


ウィリアム・ピーター・ブラッティ


創元推理文庫


2007/12/28読了。


神父がなかなか串刺しにならないなぁと思ってたけど、それは『オーメン』だったか・・・。


実は映画の『エクソシスト』は観たことがないのですが、てっきり<少女が奇行をみせる>→<医師が診察するが治癒しない>→<神父が医師と対立しながら悪魔祓いをする>というストーリーかと思っていたのです。しかし、小説はそんな単純なストーリーではありませんでした。


映画を観ていないので、はっきりとは言えませんが、少女が逆さになって階段を上ったり(下りたりだっけ)、そういうことが映画のポイントになっている(受け取られている)のだとしたら、小説『エクソシスト』はまったくの別作品だと言えるでしょう。


女優であるクリス・マックニールの娘、リーガンに奇行が始まり、クリスはもちろん病院に連れて行きます。医師は可能なかぎりの治療を施し、リーガンの肉体に現れる不可思議な現象もあらかた医学的に説明がつきます。ただし不可解な点がどうしても残ってしまいます。治療の限界を感じた医師は次のように述べます。



カトリック教会で行う悪魔祓い(エクソシズム)のことをお聞きになったことがありますか、マックニール夫人?(中略)自分が悪魔にとり憑かれたと信じている人々には、この儀式が強烈な印象をあたえることは疑いなく、事実、その効果をあげております。もちろん、儀式にその力があるわけではなく、もっぱら暗示力の作用によるもので、憑依妄想の持ち主、少なくともその症候群の出現を信じる者の意識自体が、同時に悪魔祓いの儀式の威力を信じるところに、その理由があるからです(略)」
「だからあの子を、呪医のところへ連れていけとおっしゃるの?」
「そうです。われわれが申し上げているのは、要するにそれです。このさい最後の手段として、カトリック教会の司祭の力を利用する事です。医師の忠告としては、奇怪なものに聞こえるでしょう。そしてまた、それが危険な処置であるのも承知しています。この症候群が出現するに先立って、お嬢さんが悪魔憑きと悪魔祓いの儀式のことを知っておられたときは、効果をあげる可能性がじゅうぶん考えられます」


クリスの要請により治療にあたることになったカラス神父は、精神科医でもあるため、まずは悪魔憑きであることを疑ってかかります。



「わたしは同時に神父でもあります。大司教のところへ、いや、それがどこであろうと、悪魔祓いの実施のために、許可を求めに行くことになれば、まず最初に、お子さんの病状が、精神医学だけの問題でないのを証明しなければなりません。しかもそのあとで、教会が悪魔憑きの徴と認めるに足る証拠を提出する義務があるのです」


つまりカラス神父は、「自らが悪魔憑きではないと信じる少女を救うため」に、逆に「悪魔憑きであるという証拠」を見出さなければならない、という矛盾した状況に陥ってしまうのです。リーガンの怪力や異常な行動はほとんど医学的に説明がつきます。
例えば、聖水と偽ってただの水道水をかける。悪魔は辞めてくれと騒ぎます。ということは暗示に過ぎない。本当の悪魔なら水道水であることに気がつくはずだからです。しかしさらにそれを上回る不可解な出来事が・・・果たしてこれは本当に悪魔憑きなのか、それとも精神的な事柄なのか・・・この行き詰るような繰り返しです。


ラスト近くでようやく登場する、メリン神父の荘厳な登場シーンにはちょっと感動。ラストも涙が出そうに・・・。


「ホラー」という言葉のイメージを一新させる、タイトルで書いたように「愛と信仰の物語」でした。五つ星の面白さでした。