読了本ストッカー『解放されたSF#SF連続講演集』



2011/8/26読了。

荻原規子氏の『ファンタジーのDNA』で知った本書。以下の評論・講演が収録されています。基本的には1975年にロンドンで行われた連続講演をまとめたもの。
「SFとミセス・ブラウン/アーシュラ・K・ル・グイン
「側面思考とSF/エドワード・ド・ボノ」
「フィクションとファクトの科学的考察/ジョン・テイラー
「SF以上の異常性/ジョン・ブラナー」
「世界のとなりの世界/ハリー・ハリスン」
「SFと変化/アルヴィン・トフラー」
「内なる時間/アラン・ガーナー」
「SFの気恥ずかしさ/トマス・M・ディッシュ
「SF:怪物と批評家/ピーター・ニコルズ」
「驚嘆すべきものの探求/ロバート・シェクリー」
「人間とアンドロイドと機械/フィリップ・K・ディック

論文調のものはややこしいが、議事録的なものはすこぶる面白い。つまり記述師的には、アーシュラ・K・ル・グイン、アラン・ガーナー、ロバート・シェクリーの三名でした。
ル・グインは、ヴァージニア・ウルフの言った<ミセス・ブラウン>、つまり<人間を描く>こととSFとの関係を語ります。す、すごい……ル・グイン

奥泉光氏の『虚構まみれ』で、「人間を描くべきだ」という命題とミステリとの関係を論じたエッセイがあり、「人間を描いた小説なんてなかった」といった結論(だったかな?無茶苦茶共感したのにうろ覚え……)に共感していたのですが、ル・グインに影響されそう。

こ、これだ!読みたかったのはアラン・ガーナーなのでした。『ファンタジーのDNA』で衝撃をうけたエピソードは、アラン・ガーナーが自作の『フクロウ模様の皿』をテレビドラマ用に脚色し、ロケに立ち会っていたとき、すさまじい嘔吐、強迫感に襲われ、ついには俳優に殺意を覚えるまでに追い詰められた、というもの。
彼に落ち着きを取り戻してくれた精神療法家がした質問はただひとつ。

「『フクロウ模様の皿』は過去時制の三人称で書かれているのですか、それとも現在時制の一人称で書かれているのですか?」

『フクロウ模様の皿』は過去時制の三人称で書かれていました。会話がたくさんありますが、すべて、安全に距離を置いて、“と彼は言った”“と彼女は言った”と説明されていました。
決定的な点は、作家の描く登場人物がすべて、ある程度まで、自叙伝的だということです。そして映画や演劇の時間は“いま”です――それはつねに危険でした。問題はここです。距離がなくなってしまうのです。


日本SF界がクズだなんだと言っている地平に、ずっと前に達している。まさに「そこは我々が○○百年前に通過した地点だ(C)海王」