読了本ストッカー:石川淳が掘り出し物でした……『夢の断片、悪夢の破片#倉阪鬼一郎のブックガイド』倉阪鬼一郎/同文書院


2015/1/8読了。

怪奇小説作家、倉阪鬼一郎氏による書評集です。ブックガイドとしては若干弱いですが、

巻頭の「駿河の国板垣の三郎へんげの物に命をとられし事」(先行の「曾呂利物語」に原話あり)はこんな話だ。例によって、よせばいいのに男が魔所へ胆だめしに行く。つつがなく戻ったところ、虚空から変化の脅しの声が響く。まわりの者はあわてふためき、男を長持に隠す。寝ずの番をして翌朝長持を改めたが、男の姿がない。驚き怪しんでいると、虚空から笑い声が響き、男の首が落ちてくる。
この話のどこがミステリなんだといぶかしむ方もあろうが、わかる人には電光石火のようにわかるはずである。そう、トリックさえできれば、この話(『片輪車』の話なども同様)はたやすく「本格ミステリ」に化けるのだ(筆者はあいにく島田荘司でも京極夏彦でもないから何も思い浮かばないが)。一部では異端扱いされている昨今の本格ミステリだか、まごうかたない由緒正しき怪奇の一族であることが感得される。


石川淳は未読だけど、伝奇みたいな書き方だな?そうなのか?

ホラー小説の定義については、ふた通りの考え方があります。一つは、「超自然的な恐怖を、言葉と想像力だけで表現する小説」と考える立場。もう一つは、「対象が超自然か否かにかかわらず、広く恐怖一般を扱う小説」とする立場です。それぞれの立場によって、ホラーの訳語は「怪奇小説」と「恐怖小説」に変わります。昨今はやりのサイコ・ホラーは、後者にのみ含まれるもので、前者の立場ではホラーのなかに入りません。
サイコパス新興宗教、新種のウイルス、大地震といった現実に遭遇する可能性のある題材は、確かに怖いものではあります。しかし、ある意味では想像力の衰退といえましょう。扉を開けると、ストーカーが立っていたーこれは怖い。でも、現実とさほど変わりはありません。扉を開けると、もう一人の私が立っていた、いや、大きな福助が立っていたーこのほうがよほど怖い。ざっとこんなふうにイマジネーションを働かせていくのが、ホラー作家の正しい想像力の用い方なのです。


誤解を恐れずに言えば、クーンツは性根の腐った作家である。なにしろ最後には必ず愛と正義が勝ってしまうのだから(ホラーは最後に悪が勝つんだよ!)。この作品でもハーレクイン・ロマンスの構造は崩れていないが、最後まで生き残るべき弱者が怖殺されるところが注目に値する。このまま暴走して、ヒロインが情け容赦なく殺されたり、化け物に変容したり、助かった喜びのあまり発狂したりしたら楽しかろうが、やっぱり無理かなあ……。

などなど、含蓄に富む文章がたくさん!

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花輪 莞爾
新潮社
1992-01























殺人全書 (光文社文庫)
岩川 隆
光文社
1988-06