読了本ストッカー:「兵法を遣おうと思ってはならぬ」……『前田太平記㊤富田流秘帖』



2012/11/19読了。

主人公は後の「名人越後」、富田六左衛門重政(この巻では)。富田流のことが知りたいと思って、借りてみました。

富田勢源、富田景政の弟子として越前一乗谷で過ごす六左衛門。景政の仕える前田利家に士官します。
『前田太平記』という題名通り、富田流うんぬんではなく、前田家の興亡(滅んでないけど)が描かれます。

特徴的なのは、勢源や景政をはじめ、利家や利長、むろん六左衛門も、兵法(この場合富田流)をただの術としてとらえていること。
勢源は「兵法を好む大名に、ろくな者はいない」といい、利家も「兵法を学んだそうだな(中略)それはそれでよろしい。が、武士というものは、進むべきときに進み、退くべきときに退く。それでよい」といいます。

六左衛門も「戦場では、兵法を遣おうと思ってはならぬ。闘いを闘うこと。兵法をそらんじているなら、一打一撃に自然、兵法があらわれるものである」と下知します。
六左衛門の剣技の描写も最小限に留められ、その剣理を利家や利長に語るのみ。
こういった「兵法はしょせん、戦場から切り離されたところにある」という考え方が、実際の剣術家でもある戸部氏の作品で語られるところが非常に興味深いと思います。