読了本ストッカー:西洋伝奇の雄……『ジャンヌ・ダルクまたはロメ』



2012/4/10読了。

◆「ジャンヌ・ダルクまたはロメ」……表題作。というか本編を読み終わって、はじめて短編集と気づいた次第。
タイトルはジャンヌ・ダルクの本名だそうです。父ジャック・ダルク、母イザベル・ロメの子どもという意味。
ジャンヌ・ダルク狂言まわし的役割でほとんど登場しませんし、その内面もまた描写されません。
しかし、ジャンヌを犯そうとした人間が「なにか異常な気配」「少なくとも常人ならざる色」を、その瞳の奥に見るくだり、おぉこれはまさかものすごい物語(どちらの方向かは判断できませんが)になるのでは?と思わせといて、短篇だったか!という感じ。それはそれで凄みがあるんですけれど。

◆「戦争契約書」……オックスフォード大学マグダレン校に残る「まことに珍奇な古文書」を巡る物語。これ着想を得た出典が挙げてありますから、おそらく本当の古文書を題材にしたものと拝察。
百年戦争で一旗揚げようと目論むニコラス・モリヌーとジョン・ウィンターというふたりのエスクワイヤ(郷士)が、お互いを「戦争義兄弟」として、人質となった場合の身代金を負担率やらなにやら、疑心暗鬼になりながら裏を読みながら細々と決めていく面白ストーリーです。三谷幸喜脚本で舞台になりそう(笑)。

◆「ルーアン」……表題作「ジャンヌ・ダルクまたはロメ」に続く物語。
ジャンヌ・ダルクを裁く異端審問に陪席官として参加した修道士ジャック・ドゥ・ラ・フォンテーヌの物語。神を主人とする神の道と、貴婦人を主人とする騎士道との間で悶えるエリート……の話?

◆「エッセ・エス」……なんだか斎藤道三の家臣を主人公にした、織田信長を婿に迎えるときのエピソードみたいだな(笑)。すごい既視感! どこの世界にもあるんだなあ……。
カスティーリャ王家に仕えるグティエレス・デ・カルデナスが若いときの自慢話に花を咲かせます。
仕えるは、カスティーリャ王家のイサベル王女。イサベル王女は兄であるエンリケ王の用意した、ポルトガル王アルフォンソとの婚儀を(義によって)拒絶。かわりにアラゴンのフェルナンド王太子を自らの婚約者として指名します。
若きカルデナスは、万難を排してフェルナンド王太子を連れてくることができるのか?
実利を重んじるアラゴン人と格式を重んじるカスティーリャ人がやたらぶつかるとこが笑えます。
「まだ披露宴にこだわっていたのか」
「こだわります。こだわります。イサベル様には一生一度の晴れ舞台なのですぞ」
(中略)それでもフェルナンド王子は相手にせず、逆に斜めから見上げる目をして、ずばと切りこんできた。ひとつ確かめておきたい。これは姫君を喜ばせる話なのか。緊急を要する政治の話ではなかったのか。


◆「ヴェロッキオ親方」
……短めの掌編です。
ルネサンス期のイタリアで、工房をもつアンドレア・デル・ヴェロッキオは、ひとりの弟子の登場に、驚き、嫉妬し、その神業を守り抜こうと決意します。

◆「技師」……築城技師のアントニオは、フランス軍に蹂躙されそうな故郷ロカを救うべく、最新の築城理論をもって帰郷します。

◆「ヴォラーレ」……天才についての一編。

天才は二種類に分けられる。ひとつは最高の人間であり、ひとつは最低の神である。あてはめると、レオナルド・ダ・ヴィンチは明らかに後者だった。
神だったからこそ、
レオナルドには、この世界の全てがみえた。が、神であっても最低の出来損ないどあるために、ぼんやりとしかみることができなかった。はっきりみえないことくらいもどかしいものはない。


逆にミケランジェロは、
「大理石を削るにしても、漆喰を早描きするにしても、はじめから、あらまほしき形がはっきりみえているんですなあ」
まさに天才の業ですよ、とマキァヴェッリは結んだ。最高の人間という意味である。人間であるがため、それしかみえない。が、最高の高みにあるために、そこだけは神の世界が、はっきりとみえている。


ラッファエッロも出てきます。