読了本ストッカー『祕劍・柳生連也齋』

秘剣・柳生連也斎 (新潮文庫)秘剣・柳生連也斎 (新潮文庫)
著者:五味 康祐
新潮社(1958-07)


2009/12/18読了。





実ははじめての五味作品。
五味氏といえば『柳生武芸帳』。もう手元にはあるはずなんですが、複数巻のものは後回しにしていますので(年明けにドラマやるみたいだなあ……どうしよう先に読もうかなあ)、先に発掘された本書から。全著作を集めてから読もうと思っていたのですが、一巻ものを読み尽くしてしまったので、仕方なくシリーズものじゃなきゃいいかなと。
ちなみに、本書はタイトルほか旧漢字が多いのですが、レビュー内では通常の字体を使っております。従って、本来は異体字のこともありますので、ご了承ください。

◆「喪神」……妖剣を遣うと噂される瀬名波幻雲齋と、彼を仇として追った松前哲郎太の運命を描きます。昨今の非常に凝りに凝った時代小説、剣豪小説からすると非常にシンプルな構成。夢想の剣というガジェットも、『北斗の拳』(これは拳か……。)なんかにもありますけど、その端々の文章が端正で、それでいて狂気をはらんでいる様子が緊張感を高めます。さすがの芥川賞受賞作!
直木賞じゃないんだもんなあ、すごいなあ。ラストの一文で急に伝奇風味を帯びてくるのもまた記述師好み。

◆「祕劍」……表題作の一篇。熊本城下にて、大捨流の道場を構える平松弘重のもとを訪れた細尾敬四郎を名乗る若者。鍔に隠された親指を斬り飛ばす秘剣を身につけた彼は、どうやら何者かを追っているようで……。これ、単純に考えると、悪いのは妻じゃないかなあ。隆慶一郎氏の「死出の雪」にもありましたが。

◆「猿飛佐助の死」……出た!猿飛佐助!そして戸澤白雲齋!(本編では、神澤月雲齋として登場。<巷説に戸澤白雲齋というのは、この人であろう>と書かれているので、二重にややこしい……どっちが巷説なのか……)

忍び者は、けつして敵を刺した太刀は、抜かない。突き立てたままで捨て去る。返り血を防ぐためである。

とか豆知識が盛りだくさんで楽しいです。本編では、佐助は北條氏直の子。いつも貴種流離譚のタネになりますね、佐助は。本書で唯一、忍びの生きざまを描いた作品です。

◆「寛永の劍士」……時は寛永筑前黒田藩に仕える丸尾六左衛門は、田宮流の抜刀術を遣う剣士。当時は未だ戦国の余韻冷めやらず、(戦場の剣以外の)剣術を小手先の技として軽く見る傾向があります。従って、六左衛門も人前で業を見せることはなく、その腕を知る人も少なかったのですが……。

「措け」六左衛門が叫んだ。「お手前の負けじゃ」
「何と?」
「勝ちは早やこの鞘の中にある。見えぬか」
「白痴た事を」
「抜かねば、見えぬか。田宮流抜かずの極意ぞ」
「推参な」 左馬之亮は気合もろ共斬り掛つた。同時に鞘走った六左衛門の抜打ちが、空に、一條の仄白い流れを描いた。左馬之亮は頭上から水月のあたり迄一気に斬り落とされて、即死した。一同呆然と、血振るいをする六左衛門を見まもるばかりである。

かっこえ!とまあひょんなことから、その業前を人に知られるようになったのです。そしてなんと、あの新免武蔵と対決するはめになります。それにしても、このあっさりした終わりかたがなんとも言えない読了感ですね。
この年代の時代小説を読むとき、ぶっつり途切れたような終わりかた、因果応報といえない終わりかたをする作品が非常に多いように思います。今だったら、登場人物すべてに何らかの形で責任をとらせる(精神的なものであっても)パターンが非常に多いし、またそうじゃないと納得されないことが多いと思います。
きっとこういった終わりかたに我慢できなくなった人々が書いたのが、現代の(時代)小説じゃないかと感じます。
すべての伏線を回収して、なんの謎も遺恨も(作者と読者の間に)残さずきれいに終わる、しかしそうでない終わりかたができる作家ってすごいと思います。少なくとも記述師にはできない。

◆「櫻を斬る」……唯一のハッピーエンド?

◆「二人の荒木又右衞門」◆「柳生連也齋」◆「一刀齋は背番號6」◆「三番鍛冶」◆「清兵衞の最期」◆「小次郎参上」

どれもすごい出来の短篇でした。各編ごとの感想をメモっていなかったのは不覚!