読了本ストッカー:ひとりっ子のための(?)サイコロゲームメタファンタジー……『ユニヴァーサル野球協会』

ユニヴァーサル野球協会 (新潮文庫)


ロバート・クーヴァー


新潮文庫


2008/9/22読了。


    本書を知ったのは『翻訳文学ブックカフェ』 。本書の訳者、越川芳明氏が<まああれは野球小説というよりも、野球が世界創造のメタファーとして使われているだけなんだけども>のように言及していたことで知りました。たったこれだけの記述でしたが、絶対に面白い匂いがする!と思い探求、もちろん105円で入手しました。


    中年の会計士ヘンリーの趣味は野球ゲーム。ただし、普通の野球ゲームではありません。



    ヘンリーはついにかれ自身の手になる野球ゲームで行こうと覚悟を決め、本物の野球の複雑さに近づけようと、ハンデや釣り合いの問題に取り組んだのだった。(中略)最後には妥協して、サイコロ三つは堅持しながらも色は三つとも白にし、組合せの総数を五六通りにまで減らしたのだった。(中略)色のついたサイコロを使った場合の複雑さを取り戻し―――実際それよりいっそう複雑にするために―――一の三ゾロか六の三ゾロ―――つまり一・一・一か、六・六・六―――が出た場合、次の出目は緊迫プレー一覧表(ストレス・チャート)を参照することで、一層派手な事件を引き起こそうとしたのである。緊迫プレー一覧表とは、サイコロ三つによる一覧表だが、標準一覧表よりはるかに劇的な特徴を帯びていた。一か六の三ゾロが二度続けて出ることは非常にまれだが―――まる二シーズンを通じて平均三回ぐらいしかない―――それでも、もし出た場合、次の出目は殴り合いから八百長試合まで、ほとんどどんなことでも起こりうる大事件一覧表(エクストローディナリ・オカーランス・チャート)を参照することになる。この二つの一覧表は、野球ゲームをただの安打や四球やアウトの連続ではなく、それ以上のものにすることで、ゲームに独自の性格を与えるものなのだ。この他にも、ヒットエンドラン、盗塁、犠牲バントスクイズ等のための特殊作戦用の一覧表も備えており、さらに、新人選手が初登場する際その年齢を決めたり、怪我や失策が具体的にどんなものであったかを決めたり、あるいは毎年誰が死ぬかを決めたりする一覧表まであった。


    マ、マニアックすぎる・・・。駒なども一切使わず、必要なのはサイコロとチャートと想像力のみ!全七チームによって構成される<ユニヴァーサル野球協会(UBA)>を作っているのです。


    試合の記録を完璧にとるのみならず、打率や防御率を計算し、賞罰を与え、野球年鑑をつくり、トレードや引退、世代交代を執り行い、UBA会長の座をめぐる政争を操作し、引退選手による酒場を作り、そこで歌われる詩を作り、新聞記事を書き・・・と、とにかく野球とその周辺で起こりうるありとあらゆること、選手の歴史、家系図なども考えるのです!オフシーズンに行われるレクリエーション(ビリヤード大会とか)までをも!当然ヘンリーの実生活にも支障をきたしますが。


    越川氏が上述しているように、解説で高橋源一郎氏(『優雅で感傷的な日本野球』)も次のように書いているように、本書は『創世記』を下敷きとして書かれた<神話>であり<寓話>です。



(日本での野球は)たいていは高校野球の話なんだ。甲子園を目指す、血と汗と涙-こんなものが好きなんだねぇ、日本人は。ちぇっ、アマチュアリズムに浪花節か。だけど、アメリカ人にとって「野球」はもっとちがったものだ。アップダイクが言っているアメリカの国技である「プロ野球」は「アメリカの夢」そのものなんだ。ベーブ・ルースジョー・ディマジオルー・ゲーリック、テッド・キッド・ウィリアムズ、そんなビッグ・ネームに胸ときめかせ、少年たちは野球場へ通う。野球場では、少年たちの神々が壮大なファンタジーを演じてくれるからだ。少年たちはやがて大人になっても、その夢を忘れることはない。伝説のプレイヤーたちは語り伝えられ、やがて次代の神々にうけつがれてゆく。それは「若い国」アメリカがもつ唯一つの「神話」なんだ。(解説より)


    本書は、クーヴァーのポストモダニストとしての面目躍如な一作らしいし、様々な比喩やモチーフの織り込まれた寓話です。ヘンリーの想像から生まれたが一人歩きを始める様子は、<文学における「作家の死」つまり作品の一人歩きを連想させる>らしいです。<この小説はベケット以降の文学創造のプロセスや不可能性をメタファーとして語る、じつに小説の歴史意識のつよい作品なのである>らしいです。ただし、記述師はそんなこと(!)より、本書は一人っ子のための壮大なサイコロファンタジーと声を大にして言いたいっ!


    ひとりっ子にとって一番重要なものは何か? それは<サイコロ>です! 家でひとり遊びをするとき、兄弟のいないひとりっ子は、自ら遊び相手を作り出さないといけません。そこで問題となるのは<フェア>であること。一人で二人分の動きをしなければいけないので、公平な働きをする相手を常に探しているのです。その最良のパートナーこそは<サイコロ>!


    記述師が小学校の時、はまったのが<キン消し相撲>。クッキーの空き缶をひっくり返して土俵を作り、その上でキン消し(そのほかもろもろの消しゴム)たちをトントン相撲させるという単純なものですが、記述師は悩みました。
    右ききだからどうしても右手のほうが強くたたいてしまう。これじゃあ不公平じゃないか!というわけで、全キン消しの総当たり戦を左右で一回ずつ行うという手段を取ったのでした。
    最強力士は<血の海>という赤く塗った力士の消しゴム(キン消しじゃなくなってるし)。あれ?サイコロが出てこないぞ?まあ、一人っ子はそれほど公平さにこだわるということが言いたかったのですよ。


    サイコロを使ったのは<ひとりロードランナー>。ファミコンがなかった記述師は友達の家でやらせてもらったロードランナーにハマってしまいました。しかし家ではできない・・・仕方ない作るか、ということで、まず画用紙に地図をつくりました。


    次は敵キャラの配置。サイコロを振って配置を決めます。サイコロ二回振って、将棋盤の要領で、1-六などと座標を決定。自キャラの位置も同様に決定します。


    次はキャラの動きの設定。ロードランナーの場合、動けるのは左右と上下(ハシゴがある場合)。そこでそれぞれの動きを、サイコロの1234の目と設定。5の場合は右に穴を掘る、6は左とかと設定します。つまり最初のターンで6の目がでて左に穴をあけ、次のターンで1の目がでたら穴に落ちちゃうわけです。穴は3ターンはあきっぱなしとか適当に設定。


   敵キャラはすべて1ターンにつき1回サイコロを振ります。つまり恣意的な状況を極力排除してスタートです。が・・・遅っ!1ターンに1コマしか進めないのでゲームになりません。そこで、たしか1回目のサイコロで移動方向を決め、2回目のサイコロで双六のように移動升目数を決めるという方法に切り替えました。しかし敵キャラはともかく、自キャラすら偶然性に頼った動きをするため、まったくゲームが終わらず。今度は自キャラは進行方向のみ選択ができるとかいろいろ改良を加えました。全然ファミコンの操作性を再現するまでには至りませんでしたけど(当たり前)。


    このように、サイコロとひとりっ子と妄想は切っても切れない縁で結ばれているのです。全世界のサイコロ妄想ひとりっ子に幸あれ!!


    あ、ちなみに五つ星です。