読了本ストッカー:物理勉強しないと。……『ディアスポラ』

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)


グレッグ・イーガン


ハヤカワ文庫


2008/6/24読了。


 


いや~難解だ!さすが現代SFの極北・・・。


イーガンは『宇宙消失 (創元SF文庫)』『しあわせの理由』に続いて3作目。刊行順に『順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)』『万物理論 (創元SF文庫)』とかから読みたかったのですが、全然集まらないので読みはじめました。


最初に繰り広げられる、精神種子からソフトウェア化された人類が<意識>を持つに至るまでとか・・・頭痛(笑)。しかし、だんだん状況を把握できてくると、一気にハマります。


それにしても詰め込みすぎ! 本書をバラして肉付けすれば、何冊もの長編ができそうなほど。


時は30世紀。人類(の一部)は自らをソフトウェア化し、<ポリス>という仮想都市で暮らしています。<ポリス>は停滞を防ぐために、一定の割合で<孤児>と呼ばれる市民を作り出します。その孤児プログラムが<ヤチマ>という<自分>を見いだすまでを描くのがもう一冊分(笑)。
その後もガンマ線バーストによる災害を描いて一冊。宇宙進出の近道を探してワームホールの解明を行う様を描いて一冊。ついに宇宙に向けて都市そのもののクローンを1000も送り出す(・・・。)様子を描いて一冊。それから出会う様々な神秘で二、三冊・・・お腹いっぱいだ~。


トカゲ座G-1の中性子星の異変を一人のグレイズナー(体を機械化した人類)が発見する場面の語り口は、なんとなくクラークを連想。そういう意味では、わりと古典的SFっぽいかな。


しかし、もうここには<現実 vs 仮想>といった古典的対立は存在しません。作品世界内には、<肉体人vsグレイズナー(機械化人類)vsポリス連合(ソフトウェア化人類)>という対立があるにはありますが、イーガンには存在しない、といったほうがよいのか。自分の興味をソフトウェアでコントロールしたり、自分のクローンを1000も別の宇宙船で送り出したり・・・<現実 vs 仮想>どころか自分というものも希薄。


しかしソフトウェア化人類って便利だなぁ。



   ヤチマは上の空になって言葉を途切れさせた。もうひとつの可能性が、意識の端に浮かびつつある。数タウ待ったが、それは中心に出てこなかった。そこで自分のアイコンをスウィフト観境に残したまま (中略) ヤチマはゲシュタルトの視点を自分の精神のマップに異動させた。
  (中略) マップはスローモーションのリプレイだった。ヤチマが見ているのは、マップを見るという行為が引きおこすリアルタイムの発火ではなく、もやもやしたまま意識の端に引っかかっている思考を形成する発火パターンだ。そしてマッピング・ソフトウェアによる色わけのおかげで、そのパターンとつながるものはかんたんに見つけだせたが、いまはそのつながりがしきい値を越えて自律した活動になることはなかった。シンボルが発火した言葉は、同位体、永続、明白・・・・・・そして中性子
   ヤチマはしばしまごついたが、つながりの意味がわかったという感覚がふたたびこみあげてきて、これまでなにを見落としていたかがはっきりわかった。


これは誰しも経験のある「あ、今思い出しそうだったのに・・・。」を解決する場面。 すごすぎる!


読み終わってみると、(ソフトウェア化されているとはいえ)人類のファーストコンタクトものと言えましょう。ファーストコンタクトものだと、人類に理解不能なものは全体主義的なもの、と処理される場合が多くて不満だったのですが(結局、異星物を描くということは、<個>をどのように処理するのかを描くものなのかな)、「ワンの絨毯」なんて・・・すごすぎる(二回目)。もう<個>とかいう次元じゃなくなっているし・・・。


それにしても・・・物理を勉強しなくちゃね。全然わかりません、細かいところは。そのわけのわからなさに、五つ星!