読了本ストッカー:ついに見つけた!……『偽史冒険世界』

偽史冒険世界―カルト本の百年 (ちくま文庫)


長山靖生


ちくま文庫


2008/1/30読了。


 


ず~っと探していた本書。古本屋で探すしかないかなぁと思っていたのですが、営業中の新刊書店で発見! 担当者の方も長山氏のファンということで、他の書籍も薦められ購入しました。ということで久々の定価購入。


◆第1章  どうして義経ジンギスカンになったのか?



伝奇としてはポピュラーな「義経ジンギスカン説」の謎に迫ります。とても刺激的な章。大正13年(西暦1924年)、小谷部全一郎なる人物によって上梓された『成吉思汗ハ源義経也』という書物。義経が死ぬことなく蝦夷地に渡り、アイヌ人の王となり、その後ジンギスカンとなったという論をもとに、アジア全域を日本人が支配(共存共栄を謳いますが)することの正当性を訴え、空前の大ヒットとなったこの書物の背景に流れるものを探ります。


義経と北方を結びつける説話は室町時代からあるようです。しかしそれは「義経が異界に赴いて神通力を身につけた」というストーリーのもの。そこにはアイヌ人の王も、当然ジンギスカンも出てきません。
変化が起こったのは戦国末期。アイヌ人と交渉を持つようになった本州の商人から「義経の島渡り」的説話が伝えられ、文字を持たないアイヌ人の中で口承として伝えられるようになります。それを知らずにアイヌ人側から聞いた本州の人間は、「アイヌ人が義経の事を知っており、かつ語り継がれている」という風に判断してしまったわけです。その後アイヌ人を侵略した江戸幕府は、その侵略を失地回復として正当化するため、「アイヌ人の王義経」という伝説を隠れ蓑として利用する結果となったわけです。


後はもう転がるように・・・。江戸時代、沢田源内が『金史別本』という偽書をものし、義経の孫が金国の大将軍となったという話をでっち上げます。明治時代には、末松謙澄という人物がケンブリッジ大学在学中にイギリス人を装い、「義経ジンギスカン説」の論文を書きます。そしてそれを参考にしたとして前述の小谷部全一郎が本を書き上げるわけです・・・。



その発生と伝播の過程でさまざまなバリエーションを持つに到ったこの「物語」は、常に日本の領土的野心と結びついた形で語られてきたのだった。


とあるように、最後まで読むとなるほどと思わせます。


◆第2章  なぜ“南”は懐かしいのか?



今度は北ではなく、南へ。



日本人の冒険、なかんずく南方に向かっての冒険は、どこか古い友だちとの約束を果たすかのような、甘美な義務感に裏打ちされていた。


た、たしかに。なんでしょう、この懐かしさは。単純に記述すると「近親憎悪」でしょうか。アジアや太平洋諸地域の人々に対して、欧米から侵略されつつある同胞として見る一方、先進国にならんとする日本の踏み台として見ている、しかし「南」に対するロマンチックなまなざしゆえ、その侵略的野心に無自覚であったわけです。最悪だな。


◆第3章  トンデモ日本人起源説の世界観



歴史を創った男、木村鷹太郎。略してキムタカ。



  鷹太郎は(中略)ギリシャ語やラテン語などを研究しているうちに奇妙なことに気づいた。日本語とギリシャ語、日本神話とギリシャ神話には、共通点が多かったのだ。(中略)驚くなかれ、それらのすべてに日本神話と共通のモチーフが隠されているではないか。普通なら「どこの国の神話も、人間が考えたものなのだから、似たり寄ったりなのだな」と思うか、せいぜい日本と古代ギリシャの比較神話学に思いを馳せるくらいだろう。だが、この時、木村鷹太郎は確信してしまったのである。「すべては日本からはじまった」のだと・・・。


・・・。えと・・・。


◆第4章  日本ユダヤ同祖説と陰謀説のあいだで



でました、超基本「日ユ同祖論」。『陰陽師』やら高橋克彦氏の諸作にでてきますね、よく。司馬遼太郎海音寺潮五郎でさえ、影響されているようですから、本当にポピュラーかつ魅力的な説なのでしょう。


まず明治41年(1908年)、法政大学教授佐伯好郎が『太秦を論ず』という論文で、渡来人である秦氏は実はユダヤ人だった(でた~!)、という論を展開しています。その後大正13年酒井勝軍が『猶太民族の大陰謀』という著作をものします。酒井は、あの有名な「竹内文書」の中から「モーゼの十戒石」を発見するなどするのでした。


基本的には「欧米人に差別される」→「欧米人と同様にユダヤ人を差別することで、自分たちが優位に立ちたい」→「自分たちこそ真のユダヤ人(ユダヤキリスト教文明の後継者)だ」という論法のようですな。


◆第5章  言霊宇宙と神代文字



この論は結局、漢字伝来以前に「神代文字」が存在していなければ、神武天皇以来の系譜などが伝わっているはずがない、という立場のものです。しかし現在「発見」されている神代文字は、そのほとんどが48音か50音。いろは歌や50音は平安中期以降に成立したものなのに、です。その後「古代日本語の音数は75音だった」という説が出たら、75音の神代文字が見つかるなど・・・もう、ね。


◆第6章  竹内文書は軍部を動かしたか?



天津教教主、竹内巨麿の手によって発見された(といわれる)一連の古史古伝類「竹内文書」。これまでの章での超愛国心珍説のほとんどは、日本の起源を世界に求めるものでしたが、「竹内文書」は「世界人類の原郷を日本に見いだしている」ものです。



ここまできたら、もう恐いものはなにもない。


というわけで、とても魅力的な本でした。偽史疑似科学分野の基本図書として、記述師的に認定です。長山氏のほかの著作も読まないとね。氏のあとがきから、次の文章が印象に残りました。



理想を夢見るとき、人は時として自分の理想以外のものを視野から排除してしまう。自分の理想とあまりに懸け離れた「現実」に戸惑い、憎むようになってしまう。現実は醜く、理想から程遠いがゆえに、否定すべきものに思えてしまうのだ。
  だが本当にそうだろうか? 本当に現実は醜いのだろうか。私たちが暮らしている日常は、この醜く雑然とした現実は、個々の人間の夢や理想がせめぎあい、それらの不完全さの故に結果として醜いだけで、本質的に醜いわけではない。理想主義者は、しばしば自らの理想に没頭するあまり、そのことを見落としてしまう。


当然五つ星です。