読了本ストッカー:「コトブキ(はあと)」ってなんじゃそりゃ?……『ぼくのキャノン』

ぼくのキャノン (文春文庫)


池上永一  文春文庫


2007/9/26読了。


池上永一氏の著作は、『バガージマヌパナス―わが島のはなし 』に次いで2冊目。
第二次世界大戦中に使われた大型カノン砲が一番高い丘に設置されたまま残されている沖縄のある村。村人はそのカノン砲を<キャノン様>と呼び崇拝しています。その村を支配しているのは<キャノン様>の巫女であるマカト、隻腕の海人樹王、盗みとオークションによって村の維持運営費を稼ぎ出す泥棒チヨという3人の老人たち。村のライフラインをすべて統括し、秘密結社<男衆>の力と恐怖で村を統べ、秘密結社<寿隊>の愛と美で村を彩る(笑)21世紀の日本にあるまじき絶対君主制を敷いています。すべては村を守るため、秘密を守るため。地方分権化の見本(ならないならない)ともいうべきこの村を巡る物語。マジックリアリズムど真ん中の作品です。


それにしてもやっぱりマジックリアリズムといえば熱帯。『バガージマヌパナス』もそうですし、池澤夏樹氏のアンチ妹萌の傑作ファンタジー『花を運ぶ妹』もそうでしたが、(亜)熱帯のなんというか、こうギュッと凝縮されたような濃密な空気感が、世界を作り上げるのに大きな役割を果たしていると感じます。



ウィリーはときどき投げつけられるシルバースタインの冷たい声を頼りに方向を掴んだ。植物の圧倒的な気配が、前方にいるはずのシルバースタインを曇らせてしまう。ウィリーは知った。自分の存在の薄さを。立っている足元のなんと覚束ないことだろう。自分の体重の感覚が掴めない。見上げても空が見えない。どこもかしこも見渡す限り緑、緑、緑だ。ウィリーは咄嗟に自分の頬を触った。もしかしたら葉が生えているかもしれないと思った。口の中が植物の匂いで充満して、頭がぐらぐらする。唾を飲み込むと種の形をしていた。ウィリーはすぐに喉に指を突っ込んだ。自分はなんてものを飲み込んだのだ。胃に落ちてしまう前に種を吐き出さねば。胃の底に着床して、そこから根が生え、双葉が開き、喉を目指して伸びてくる。ちょうどそこにあるマングローブの苗のように。胃を突き破った根が内蔵を這い巡り、固くなった幹が脳天を貫く。肉体は植物の苗床のようになって、人間は惨めに泥に縛りつけられる。そして自分はマングローブの一部になる。見渡すと、繁殖期を迎えた無数のマングローブが自分を狙っていた。息を飲んではいけない。できるだけ吐かねば。吐いて吐いて臓腑をひっくり返して、種を浚わねばならない。ウィリーは胃酸が出るまで吐いた。


ほらね~。圧倒的な存在感ですよね、自然って。


村の秘密を巡る伝奇的な謎や、第二次世界大戦の記憶、マカトたちの世代と新しい自由闊達な孫たちの世代の思いが物語を彩ります。けっこう勢いで書いている部分(全部?)もありますが、すべてを吹っ飛ばすような筆致が素敵です。ラストは電車の中で泣きそうに・・・むうぅ、どこが泣きポイントだったんだろう(>自分)。


しかしこの文庫版の表紙にはがっかり。元本のほうが何倍もいいのになぁ↓
大きい画像で入れてみました。このほうがキャノンの存在感がむちゃくちゃでてるのに・・・。